804(文化元)年頃、現在の羽田空港敷地内にて羽田猟師町(現羽田2丁目・6丁目付近)の名主、鈴木弥五右衛門が中心となり新田の開発(鈴木新田)を行った際、激しい波のため沿岸の堤防に大穴が開くなどして決壊し、甚大な被害が発生した。 そこで村民らは堤防の上に稲荷大神を勧請し祀ったのが当社の創建とされる。 以降は波の害も落ち着き、豊かな田園となった。
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穴守稲荷神社(あなもりいなりじんじゃ)
こだわりポイント
カメラマンの持ち込みができる
ゲスト(友人など)も参列できる
巫女舞がある
衣裳の持ち込みができる
雅楽の生演奏