道真公は大宰府に着任した翌年、鏡に向かってご自身の姿を三躰の木像に彫刻しました。そしてその内の一躰は秀才淳茂に、一躰は筑紫大宰府安楽寺に、残る一躰は河内国(大阪府)土師村道明寺に安置されました。
その後道真公は、延喜三年(903)二月二十五日、大宰府に於いて五十九歳で薨じています。
さて、五男淳茂公は、はじめ播磨国(兵庫県)に配流となったが、後に関東に下向して永谷郷の下の坊に居館を構え、道真公自刻の御尊像を奉祀して朝夕崇拝したことが、永谷天満宮のはじまりであると伝えられています。
国道2号線沿いにあり、電車、車とも利便性の高い神社です。